第32回 Bluetoothの彼女/『ブレードランナー2049』を観て

201710/29

 

 同僚が購入したのにつられてAirPodsを買ってしまった。アップルのワイヤレスイヤホンである。興味本位のミーハー的態度が今回もまた顔をのぞかせたわけだが、装着してみるといやはやもう、すっかりハマってしまった。楽だし便利だし音楽を嗜むのに全くストレスを感じない。

 

 

そういえば最近、PCで使うマウスもBluetooth型のワイヤレスに切り替えたばかりだ。それまでは“ワイヤレス”というものに対し自分のなかの保守おじさんが「信用ならぬ。有線が一番じゃ。」と頑なに拒んでいたのだが、どうやらもう、そういう時代ではなさそうだ。マウスもイヤホンも有線と変わらぬ安定性を誇り始めた。なによりコードレス化によって机まわりが整然とし、放っておけばただでさえ混沌にかえろうとする机上の秩序を保つことに貢献してくれている。オーディオ機器など特にそうだが、俗にいう“スパゲッティ状態”から解放の兆しが見えてきた。

 

逆に言うと今味わっている快適さからは、それまでコードから知らず知らずのうちに受けていたストレスの総量を思い量らせる。絡まるし、断線もあり、すぐに接触不良を起こす。音楽をポータブルプレーヤーで聴き始めてから(懐かしきウォークマン)、いったいどれほどのイヤホンを交換してきたであろうか! “片耳現象”はもはや買い替えを促す資本主義に組み込まれた仕様だと思って生きてきた。

 

 ハードというものが徐々になくなりつつある。前にも述べたが、いま自分のスマホに入っているのは定額聴き放題のGoogle Play Musicである。CDもMDもPCに取り込んだ音楽ファイルも手元にはほぼない。あるのは純粋に音を楽しむレコードくらいで、それ以外は音を「所有」するという概念はなくなってしまった。代わりに出てきたのは「共有」であり、ネットの海に漂う膨大な曲の数々を必要に応じてスマホで再生し、Bluetoothで聴覚に飛ばすという仕組み。これはSFで幾度となく想像されてた未来存在、「電脳化」に近いのではないか。

 

そんなことを考え始めたのは、実はAirPodsを入手したのとは別に理由がある。先刻、映画『ブレードランナー2049』を観た。とても悲しい映画だった。もちろん一義的にはその脚本を指すが、そこに描かれている暮らしや日用品といった映画美術の一つ一つが私には悲しく感じられた。

 

 本作を未見の方にはあらすじを避けて記しておくと(ストーリーに少しでも言及すると核心に触れてしまう、しっかりとした続編映画だった)、その世界にはホログラムで浮かび上がる「彼女」が既製品として売られている。(siriやGoogle Homeの進化版をイメージしていただきたい。)音楽アプリを呼び起こすのと同じような感覚で彼女を立ち上げ、会話をしては心を満たす。また「彼女」はスマホを携えるような要領で家の外へ連れ出しデートすることもできる。(「彼女」の「本体」はバックアップとして自室のチップに「存在」している。)

 

これって、スマホを持ち歩きワイヤレスイヤホンを耳に突っ込み、ネットから音楽を落としている状態とたいして変わらないのではないか? あとはそれを「聴覚」から「視覚」へ発展させるだけだ。私が「彼女」と生きる彼を観て悲しいと思ったのは、そこに自分の将来を見た気になったからである……。

 

もしそうなったら、自分も身寄りがないブレードランナーに志願して、世界の秩序を保つことに精を出すことにしよう。