第31回『トロイ戦争は起こらない』を観劇して

201710/19

 

 多数決が正しいという風潮がある。日常で看過できる程度ならいいかもしれないが、そういうものに押し黙って来た結果として、後戻り出来ない地平に立っていると気づく時が増えた。例えばだが、8割の人々が戦争に賛成したら、それは「正しい」ということになるのだろうか。

 

話が大きく見えづらい場合はいつも小さくすればわかりやすい。「あいつ、明日からいじめようぜ」とクラスの‟みんな”が‟賛成”に回った時、‟多数決”は金科玉条に掲げることができるのか。できないし、その行為は「正しくない」と直感的に理解できる。しかし主語がクラスではなく国家に置き換わる時、往々にして同様の問題が多数決により正当化されてしまう。

 

 舞台『トロイ戦争は起こらない』(ジャン・ジロドゥ作、栗山民也演出)を新国立劇場で観た。そして観終わった時からこの問題をずっと考えている。外交官でもあったジャン・ジロドゥ。1935年、第二次世界大戦の4年前に書かれたこの戯曲は緊迫する仏独の関係をギリシア神話のトロイアとギリシアになぞらえ、外交的手段(ダイアローグ)での解決を訴えるトロイ王子、エクトールの奔走を描いている。

 

その結果がどうなったかは未見の方には伝えにくいが、私たちは“トロイ戦争は起きた”ことを知っているし(仮にそれが神話上であっても)、1939年にドイツ軍がポーランドに侵攻したことを知っている。そこから、本作は一種の不条理劇であることは容易に想像がつくだろう。

 

もっと踏み込んで言ってしまおう。エクトールとトロイに上陸したオデュッセウスの直接対決ならぬ直接対話で(この辺りの戯曲の台詞は感動的だ)奇跡的に非戦の道が切り開かれる。しかし、“男らしさ”や‟民族の誇り”そして“愛国心”を煽る圧倒的多数の聴衆、つまりは自国民の選択は「戦争の扉」を開くことだった……。

 

 ここで最初の問いにたどり着く。「戦争はしない」という合意が「戦争をすべき」という多数決によって「誤った選択」と見なされた。開戦の結果は周知のようにトロイアの滅亡。ギリシア側の“トロイの木馬”の奇計は有名である。

 

さてこの結末から人々が下した選択を照射する時、多数決が必ずしも多数にとって善き結果をもたらさないことは明らかであり、仮に戦争に勝利していた場合でも非戦で得ていたであろう利得(開戦の機会費用)の方が大きいはずで、いずれにしても「戦争はしない」という合意の優位性は揺るがない。勝者のギリシアもその後、数々の受難が待ち受けていた。

 

 栗山民也氏がこの時世にこの戯曲に取り組んだ背景には相当な「怒り」があったと推察される。

 

「政治の腐敗や社会の混迷という、さらに広範なこの国の壊れていく状態を目にしていると、どうしても語気は強くなり、演出の手つきも鋭角化してしまう。気づけば作品のエッジを立て、すっかり鈍感になってしまった時代と人とに深く突き刺されと、強く思う自分がいるのだ。」(公演パンフレットより)

 

本公演は10/22(日)まで、千秋楽が総選挙の投開票日に当たるのは単なる偶然には思えない。そしてその日から「多数決で信任を得た」と得意げに主張し始める輩がどっと湧き出ることだろう。不正も犯罪も多数決の名の下になかったことになるだろう。もっとも、得票数では下回る多数決など多数決の名にも値しない代物だが、世の中は選挙結果と正しさを直結させる空気が醸成されるはずだ。

 

 しかし一体、多数派に取り囲まれた一人はなにをどうすれば良いのだろう? エクトールの妻アンドロマックは、事の発端である誘拐されたギリシャ王妃エレーヌに対し「あなたの愛は本当の愛ではない」と強い口調で翻意を促すが、この啓蒙的なスタンスもいただけない。確かに“恋愛ごっこ”で戦争を始められたら後に合理化する名分さえ心に立たずたまったものではない。しかし何が本当の愛なのかは当然パートナーの数だけあるしましてや「教えてあげる」ものでは決してない。エレーヌは美しいが極めて俗物的にも映り何かを“指導”したくなる気持ちはわかりはするが、彼女自身打ち明けてみせた境遇からは他人が介入できない個々の人生の重みが伝わってくる。(これは難しい役どころを演じる一路真輝さんの凄みでもある。)だから対話の最後に、アンドロマックは「負けたわ」と首を垂れるのだ。啓蒙の失敗である。

 

多数派は正しさを証明するものではないが、それに抗う少数が自ら確信する正しさに依拠し多数の声を拾わないでいるわけにもいかない。その際、啓蒙的手段に出るとアンドロマックのように打ちひしがれるだけだ。さあどうする、今を生きる人々よという問いかけが、らせん状にしつらわれた舞台セットから時空を超えて聞こえてくる。

 

 こう書いていて行き詰まり以外の言葉が見えてこないのだが、『戦争は起こらない』という芝居を不条理劇に仕上げるか、そうなる前に幕を閉じさせてしまうかの演出は神々ではなく人間の手に委ねられていると信じたい。一つは、「大事なことはそもそも多数決で決めない」という至極当然なことになるだろう。少数派の意見を取り込まなくては物事が進まないとなると、いかに動機が私利私欲を満たすためであってもネゴシエーションをふくめて熟議をするしかなくなる。その点、改憲に至るまでのプロセスはやはりうまく出来ていると思うのだが、私がこの先恐れているのは改憲手続き自体を簡略化するあるいは骨抜きにしてしまう事態の到来である。

 

▼『トロイ戦争は起こらない』新国立劇場
http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/16_009658.html