第26回『スマートフォンを買ってみた』

201708/30

 

 スマホを買った。契約時にわかったことだが、それまでガラケーを15年以上使ってきたという。15年前というと中学の頃で、確か最初に手に入れた携帯電話はdocomoのN503iだったと記憶している。折りたたみ式の筐体には背面に「i」のロゴがあしらわれていた。当時大ヒットしていたiモードを差すのだろう。メールはもとよりウェブを閲覧し続けていると莫大な請求が来たあれである。

 

 

周囲が次々とスマホに切り替えてゆくなかでなぜガラケーを使い続けてきたのだろうかと我ながら思う。最近ではLINEやSkype等のアプリで通信する友人が圧倒的に増え、自分にだけ発信ができないという迷惑もかけていた。確かにバッテリーの持ちがよく、仕事で外回りするときなどには楽なように思えた。しかし駅から目的地までの道のりをアプリで確かめることができないから、文字通り自宅で地図を“目に焼き付けて”いた努力を顧みると、全然楽ではなかった。

 

 それでも手放さなかった理由は、ひとえに「時代に流されない男」を気取っていたからにすぎない。自分はどちらかというと革新的なスタンスで物事を見て考えているつもりだが、新しいものを「新しい」というだけで毛嫌いする傾向もある。本は紙で読むべきとか、曲はアルバム単位で購入すべしとか、そんなことである。しかし今手元のiPhoneに定額聞き放題の「Google Play Music」を入れて理解したが、最高である、スマホは。先ほどBOOK・OFFで大量のCDを売り払ってきたところだ。そこには中学時代から溜めてきたアーティストの全アルバムもある。

 

一時期、音質にこだわりレコードを買い集めていたが(今でもレコード屋めぐりは趣味ではあるが)、アナログとデジタルの違いや1411kbpsと128kbpsの差で不快になるほど繊細な耳を持ち合わせていないことに気づき、それよりかは「好きな曲を好きな時に聴く」ことの魅力に感動を覚えてしまった。提供している3500万曲は自分のライブラリーを遥かに凌駕しているし、CDラックはクラウド上に保管すればいい、素直にそう思えるようになってきた。アクセスできなくなる心配もあるが、そういう情況になったときはそれ以上の心配事が世を覆っているはずである。

 

なにも趣味の分野だけでない。噂には聞いていたが名刺を読み込めるし、撮ったドキュメントをPDFに変換して記録するアプリもさっそく仕事で活用している。また映画館で見かけたチラシやポスターにカメラを向けてスキャンすればすぐにSNSで宣伝ができる。(特に宣伝素材がデータとしてない場合にも有用だ。)

 

その延長で定期券もスマホに入れてみた。これまでクレジットカード決済をモバイル端末でするのは主にセキュリティ面の不安から避けてきたが、スマホを持ったサルと化した自分はもはや本能の赴くままに動いている。一方でこの高度資本主義を受け入れつつある自分とそれを拒否しようとする自分とが一層のせめぎ合いを見せている。「所有」という概念を変えたクラウドをはじめとする共有サービスは“コモンズ”にも見えるし、いよいよ管理社会の化けの皮がはがされてきたとも思える。(スノーデンの告発は実に恐ろしい。)それを承知でSNSでの発信やスマホの利用をするとはどういうことか、さらなる勉強が必要だろう。

 

いや、でも要はミーハーなのである。それまでガラケーの制約の下で生きてきた人間が20代後半で“自由”を手にして舞い上がっているのだ。遅れてきた青春ほど手に負えないものはない。しばらくはスマホの刺激から身を守りつつ、いつかは自然におしゃれな写真をインスタにアップしてyeah!みたいな人間になるのを目論んでいる。