白いマットのジャングルに

201704/22
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 先日、ファッション誌に載って得意な顔をしている父だが、息子である僕と背格好がほぼ一緒であるため、やがてお下がりにできるからと次々に服を買い求めている。少しでも老後の資金に充てた方がいいんじゃないの、と無頓着な僕などは感じるのだがそれはさておき、173㎝という数字で思い出したことがあり、“サヤマ サトル”と調べてみた。「佐山聡 173㎝」と出てきて膝を打つ。「90kg(全盛時)-115kg …タイガーマスク(初代)」。

 

いつだったか、父が代わりにマスクをかぶってリングに上がったという話を聞いており、眉唾だと思って気に留めず過ごしてきたが(他の極真話に埋もれていた)、この背丈の一致をみて俄かに興味が出てきた。母にそれとなく「親父が昔タイガーマスクやったって話があったけど」と聞いてみると、iPadをいじりながら「19歳の頃ね」と何でもない風に返ってくる。こちらも「ふうん」と興味を悟られぬようにその場を後にし、すぐに計算を始めた。親父の生まれた年に19を足すと…1981年。佐山聡が新日本プロレスで初代タイガーマスクとして活動したそう長くはない期間は……1981-1983年!

 

 プロレスの熱狂が社会を巻き込んでいた時代の少し後に生まれた僕の年代になると、「タイガーマスク」といったら梶原一騎の原作漫画を古本で読んで知ったとか、またはアニメの再放送で目にしたとか、そういう出会いを通して存在に触れてはいる。もちろん、佐山聡の初代以降にも、二代目、三代目とバトンタッチしプロレスの方でも同時代で追うことができたのだろうが、リアルタイムで流行った格闘技と言えば圧倒的に「K-1」であって、四次元殺法ではなくアーツのハイキックやフグの踵落としに目を奪われ夢中になっていた。

 

しかしある世代より上になると、タイガーマスクといったらなんといっても「初代」となり、リングを華麗に舞う佐山聡の話題で一杯呑める。タイガーブームの洗礼を受けた世代ならばなおさら、父がマスクをかぶったという衝撃の程度が伝わるかもしれない。そして「kwsk(詳しく)」となるに違いない。実際に尋ねてみた。

 

 父は学生時代から極真空手をやっていたことは何度か書いてきたが、そこの大学の繋がりで新日本プロレスのアルバイトもしていた。車でポスターを貼って回ったり、リングのロープを張ったりと、それらしい肉体労働である。その日も、地元に巡業してきた新日のためにリングを設営していた。そこに関係者から佐山聡が膝を故障しているとの報が入ってくる。佐山聡から空中を奪ったら手足の自由が利かないに等しい。かといって出場しないわけにもいかない。お客さんの大半はタイガーマスクを観に来ているのだから。

 

そこでもう察しがつくだろうが、鍛えられた身体を持ち、かつ背格好が似た若者に白羽の矢が立った。81年、19歳の父である。場所は熊谷市民体育館。……虎だ、虎だ、お前は虎になるのだ。“タイガーマスク”をかぶせられた父が白いマットのジャングルに上がった。

 

すかさず、質問する。

子「誰と戦ったの?」

父「ブッチャー。」

 

ブッチャー! アブドーラ・ザ・ブッチャ!! リングに上がっちゃダメなやつでしょう。ちなみにブッチャーが全日本から新日本に移籍したのは1981年。これも符号している。

 

ブッチャーはすぐにタイガーマスクが「タイガーマスク」でないことに気づいた。父は身長は佐山聡と同じだったが、体重には差があった。その頃の佐山聡の体重を示す資料は手元にはないが、仮に全盛期の90kgと想定すると、父が最も重量があった時代の85、6kgでも届かない。当時19歳であれば、10kg以上離れていたと考えられる。

 

試合はすぐに場外へと持ち込まれた。ブッチャーが機転をきかせたのだ。ヒールとしておなじみの場外乱闘という枠組みを用いて、空中が封じられたと思わせる状況を作り出し、試合をうやむやのままに収束に導いていく。いくら体格が近くても、佐山聡のように俊敏に宙を飛べるわけがない。リング上にいたら、それがわかってしまう。

 

 

 よく「嘘か本当か」「〇〇の方が強い」との論争を見かけるが、プロレスをそんなけちな視点だけでとらえるのは残念でならず、僕はアントニオ猪木が言い「風車の理論」として知られるもの、すなわち「相手の力を9引き出して10の力で勝つ」というファイトに説得力を感じる。(天願大介監督が新潮社時代に構成し出版した『猪木寛治自伝』にも書いてある。)強い肉体と優れた技術、鋭い感性と豊かな表現力、そして相手への信頼と適切な状況判断がなしうるそれは「高度な戦い」と言えるはずで、父に対するブッチャーの姿勢からもその片鱗がうかがえた。

 

父がリングに立ったのは後にも先にもこの一回限りで、極真と新日の関係も緊張を強いられるものだったから、その後は黙々と自己の鍛錬に励んだ。しかし僕がタイガーマスクの名を知ったのは、父がカラオケでいつもこの主題歌を歌っていたからであり、マイクを握ってこぶしをきかせる姿が確かに脳裏に刻まれている。

 

♩ルール無用の悪党に

正義のパンチをぶちかませ

行け! 行け! タイガー

タイガーマスク

 

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