今夜だけきっと

201704/08
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 花見で漫然とオリオンビールを手にしてその三ツ星を眺めていたら、しんとした塾からの帰り道を思い出した。中学の頃だ。あごを上げ自転車のペダルを踏みしめると、夜空にくっきりと浮かぶオリオン座が視界に入ってきた。冬、それも南に向かって走っていたのだろう。細道というよりあぜ道と言った方が正確なひなびた隘路を、星を頼りにゆらりゆらりとハンドルを切っていった感触がまだ残っている。

 

東京に空があるかないかは詩人の目に委ねるとして、少なくとも自分は缶ビールのラベルを見てようやく思い起こすくらいには、心理的にも遠ざかっていたようだ。これが日ごろ愛飲している一つ星のサッポロでは気づかないのだから不思議なもの。桜の樹の下で見つめるオリオンに、春からの新しい生活に期待を膨らませていた受験期の記憶が重なったのだろうか。

 

結局、高校へはスポーツの推薦枠で入学したから、鉢巻を頭に巻いて歯を食いしばって勉強に臨んだような経験はない。そういった苦労はやはり大学受験を迎えてからで、中学生の僕には無縁なものであったが、それでも塾帰りの星空がいちばん輝いて見えたのはなぜだろうと考える。血のにじむ努力が、という話ではなく、ただ単に綺麗だった。できればもう一度見たいと思う。とても美しかった。

 

 苦労は買ってでもせよとは一面ではそうなんだろうけど、その過程で目が悪くなったり腰を痛めたりと不可逆的な欠損が多面的に起こるのも確か。一方で生まれたばかりの赤ん坊はほぼ何も見えていないというから、ピュアであればあるほどいいというわけでもない。おそらく、人生にはうまい具合に“ピントが合う”時期があって、それが僕の場合は中学三年生の冬だった。

 

塾長は大変おおらかな人で、興が乗ると授業を止めて、生徒にコンビニまで全員分のジュースを買ってくるように命じた。田んぼから煌々と輝くかの地までは近くはない。遣いとなった生徒もきっと星空を見上げながらカゴを揺らしていったのだろうと思う。頼まれるのはきまって不良っぽい男の子、女の子たちだった。

 

その間、塾長は自らの半生を教材に一席ぶち、僕たちはこの社会には実に多くのバイトがあることや、痛風というものがいかに痛いかなどを知ることができた。誰も「先生、授業に戻ってください」なんて野暮なことは言わない。配給された紙パックにストローを差して笑い合っていた。それは家でも学校でも味わえない特別なものに感じられ、塾を後にしても何度も反芻させながら家路についたのだった。

 

 そんな塾長に親たちは穏やかではなかったはずだ。三者面談の際、うちの母がやって来て、息子の親に対する口や態度が悪く、わたしの誕生日さえも覚えてない、先生ちゃんとしつけてやって下さい、というようなことを一気にまくしたてた。塾長は一言、「うちのも母親の誕生日なんて気にかけない。母親はババアだなんだと言われるのが仕事。当たり前のことです。」と言い返した。加勢を得た、これから何べんでもババアと言ってやろうと内心嬉々としたが、それ以来あまり口にしなくなり、短い反抗期はすぐに収束を迎えた。

 

髪が薄いなどとうっかり放言でもしない限り、塾長はいつも生徒の側にいた。一度、塾長に叱られ泣いている生徒を見たことがあるが、よほどの事情があったのだろう。田舎の常識を言葉で平然と覆していく様は、ほかの誰よりも先生らしく僕の目に映っていた。

 

高校進学後も、学期末ごとに塾長に電話をかけ通知表の成績を伝えていた。毎度「~中卒で~町の森田です」と言い出しては、「わかってるよ、そんなこと」と切り返される。そんなやりとりを続けてゆき、いつか学年で2位を収めたときである。先生は例のごとく何でもない風であったが、その日の終わりに後輩から「高校で一番になったと聞きました」と連絡があり、その後、数年間自分で自分の尾ひれのついた噂を色んな人から聞くこととなる。

 

 春、冬の寒さを忘れた頃、塾長が引退したとの風の便りがこちらも吹いて回った。桜はもうじき散って緑を芽吹かせる。喉を通るオリオンは相も変わらず澄んでいて、思い出はまだフルボリュームで鳴っていた。