シカ噺3『4番窓口』

201405/03
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 えー、みなさまご無沙汰しておりました。お足元の悪いなか……きれーいに晴れ上がっていますな、五月晴れというやつですか、まあこんな良いお天気の日にお越しくださりありがとうございます。

 

 われわれ噺家といいますのは、雨が降っていても晴れていても、いつもニコニコとしているのが仕事であります。ぐいっと刻まれた縦のしわをびよーんと横に伸ばして、ニコニコ、ニコニコしているのでございます。

 

 ところが若い時分はなかなかそうもいかず、額のしわが縦に縦に寄ってきて、目と目がくっつきそうになるくらいに深刻に悩んだりすることもあります。わたくしもそんな時期がございまして、恋も実らず、学も実らず、夢も実らずと、こう(両腕を天に伸ばして)「ただの一本の木」、という状況に大変な苦しみを覚えました。

 

 ある晩、このなにも実らぬ木として、縦のしわ浮かべながら棒状に固くなって寝床に伏していましたら、不思議な夢を見ました。これは実話なのですが、関係者の方にご迷惑をかけぬよう、その人がわからぬ程度に細部は若干変えてお話いたします。筋はこの通りです。

 

シカ噺『第4窓口』まくら

 

 広い大地に、どこから来てどこへ行くのかもわからない、長い長い一本の線路が通っていました。アメリカの大陸横断鉄道みたいなものを想像してください。

 

 辺りはまさに西部劇の舞台のような砂漠。しかしゲームセンターやバッティングセンターがぽつんぽつんと立っていまして、どこかシュールな光景でありました。

 

 とぼとぼ歩いていきますと、コンビニがありまして、そこでわたくし、アイスクリームを食べたんです。他に顔の見えない数人がたむろしておりました。

 

 日も暮れて、そろそろ帰ろうと思ったのですが、来た道がわからなくなってしまって、こっちだったかなあと、たむろしていた人たちについて、線路のほうに向かっていきました。

 

 そして、線路を渡ろうとしたちょうどそのとき、「そっちじゃないよ。」と声がして振り返りました。

 

 みると、中学生のとき、とくに仲のよかったわけでもない、部活で知り合った他中学の子が、それこそ顔を見るまで思い出すこともなかった「T君」がいたのです。T君が、そっちじゃないよと私を誘導し、線路を渡らずに引き返しました。そこで、来るときに線路など渡っていなかったと気がつきました。T君と私は道端のバッティングセンターで幼心にかえって打ち合ったあと、楽しかったな、と言い合って別れました。

 

 ……そのあたりで目が覚めまして、なんでT君が出てきたんだろうと思いながら、今なにしてるのかなとFacebookをたどって動向を調べてみたんです。便利なご時世ですな。

 

 しかしながらT君自身のアカウントはありませんでした。なかったのですが、T君の友達はわかりましたので、友達申請のあいさつ代わりにメッセージを送って、「そういえばT君はどうしてる?」と末尾に付け加えて聞いてみました。少しの間があり、返信には言葉数少なく、こう書かれていました。

 

 「T君は、もう亡くなってる。」

 

 それはもう、驚きました。しばらく画面をじっと見つめて、返す言葉もありませんでした。雰囲気を察し、私のほうからはもう返信いたしませんでした。だからなにがあったのかはわかりません。そしてなにより、中学校以来の顔合わせで夢に出てきて「そっちじゃないよ」と伝えてくれたことを深く、深く、考えたのであります。

 

 怖い噺が苦手な人には誠に申し訳ありません。しかし、ちょっと怖くもありますが、人知を越えたところで“見守られてる”という感じを私は受けました。ちょうどその頃、迷いのピークでしたので、あ、これはまだ生きなきゃいかんと思ったのです。まだまだ“線路”を―それはきっと三途の川みたいなものだったのでしょうな―渡るときではない。一時的にはしんどいけど、これから先、定められた自分の使命みたいなものが待っている。だから今それを自覚し、噺家として、みなさまの前でニコニコとしているのでございます。

 

イエス「番号札44番のかた~、4番窓口へどうぞ~」

ユウタ「……はて、ここはどこだろう。窓口がたくさんあって、銀行みたいだな。」

イエス「44番のかた~」

ユウタ「(手元を見て)おれじゃないか。」

イエス「そうそうあなた、あなた、どうぞこっちへ~」

 

 ユウタ、わけもわからず4番窓口に行って座ります。向かい合う少しやつれた男性のネームプレートには「イエス」とあります。

 

イエス「さあさ、こちらの用紙になにがあったのかを記入してください。」

ユウタ「なにがって、まずここはどこですか?」

イエス「(陽気に笑って)またまたご冗談を。」

ユウタ「いや、冗談じゃないですよ。気づいたらおれここにいて……イエスさん、あなたに呼ばれたんです。イエスってあのイエス・キリストですか……?」

イエス「イエス、イエス!」

 

 二人のあいだになんともいえぬ沈黙が流れます。

 

ユウタ「……そうですが、繰り返しますが、ここはどこです?」

イエス「4番窓口です。」

ユウタ「4番窓口とは?」

イエス「うーん……説明する? 向かって左からね、1番窓口が『大往生』、2番窓口が『事故・病気』、3番窓口が『事件』、で、ここ4番窓口が『自死』ね。ハイ、記入お願い!」

ユウタ「いやいや、わけわからんですよ、銀行かどこか知りませんが、保険勧誘の前に、どこも亡くなってるじゃないですか!」

イエス「そうよ。だからここにいるんじゃなーい。(壁時計を見上げながら)早く理由を書いてほしいのね。死んじゃった理由をね。ささっとね。私、このあと弟子たちとのランチがあるから。」

ユウタ「ちょっと待ってくださいよ! おれまだ死んでないですよ。いつ死んだんですか。ねえ、おれを騙そうとしてるんでしょう、で、なにかに加入させる気でしょう。だいたい、イエスって、こう(両腕を水平に伸ばして、頭を垂れて)どよよーんとしてるでしょう。あなた何者?」

イエス「あー、それ、完全な固定観念ね。みんなそう思ってるから、ニコニコと明るくしようと努めてるの。ちょっと前にね、2番窓口からお越しになった、えーと、ニッポンの……(カタログをめくりながら)オウ、イエス! この人、エンドウ・シュウサクさんがね、私のこと、こう書いていて、けっこうショックを受けたのね。ついでだから引用するね。」

 

“長い間、聖書に書かれているイエスの姿をみて、いささか不満だったのは、イエスがいつも物静かで、落ち着きすぎていて、はしゃいだり、笑っている一面が欠如していることだった。” 途中略すね、宗教画でも“「笑っているイエス」――つまり生を楽しんでいるイエスの顔が一向に描かれていない点だった。”……と言ってるの。

 

ユウタ「はあ、あの作家の遠藤周作さんが……。」

イエス「みんなにとっての私のイメージ、苦しめ~苦しめ~そして愛せ~、みたいな感じらしいけど、私はみんなに、人生楽しんで、笑って生きてほしいと思ってるよ。なんとかなるよ。生きて生きて生き抜いて、最期に私に身を委ねればいい。だからさ、あなたここに来るの早すぎたね。その理由をここに書いてほしいわけです。」

ユウタ「(もう視点を変えて)そうですか、でも困ったなあ、おれ死因を覚えてないんですよ。」

イエス「ジーザス!! びっくり、そんなひとはじめて。みんな何かしらの強い決意があって4番窓口に来てるわけだから、忘れることはないと思うんだけどねー。」

ユウタ「さっきのカタログ、見せてもらえます? 他の人の感じを見れば、ちょっと思い出すかもしれません。」

イエス「なるほどね、オーケー。なにしろ書いてもらわないことにははじまらないからね。(再び時計を見る。)でもさっきのカタログは2番窓口から借りたものだから、あなたのはこっちね。」

 

 イエスはインデックスのついた分厚いファイルをユウタに渡します。こちらの背には「4番窓口」と書かれているのですな。ユウタはパラパラとそれをめくっていきます。そこには死因だけでなく、生前の行い、そして死後の行いまでもが綴られていました。

 

ユウタ「ああ、桂枝雀さんじゃないですか、おれこの方の落語大好きでねえ。へえ、そんなことがあって……。はあ、いまも生涯を捧げた落語をやってるんですね。」

イエス「それは特例措置ね。本当は4番窓口の人、生前にいっちばん逃げようとしていた、もっとも嫌いとしていたことを死後やらされるのね。普通好きなことはできないのです。あなたの前の子、受験勉強が嫌でここに来ましたが、結局受験勉強させられてます。ただ、シジャクさん、この人落語好きすぎて、追求しすぎて逆に嫌になって追い詰められてここに来ちゃったみたいで、そうなると、やっぱりここで落語しなきゃあかんなーって上層部が決めたようです。」

ユウタ「上層部って……あなたが一番偉いのではないのですか。」

イエス「ノーノー、一般的にはそうですが、私も預言者の一人、もっと偉い人、上の階でタバコ吸ってます。(おもむろに懐から扇子を取り出し、葉を詰めタバコをふかす動作をする。)」

ユウタ「はあ……。あれ、これは中島らもさんじゃないですか。今も大好きな酒を飲んでますよ。」

イエス「うーん、その方はね、階段から転がり落ちて亡くなったので、本来2番窓口行きだったのですが、生前からお酒飲んでは酔っ払って危ないことばかりしてて、それが『自殺的行為』やったなあと上層部で判断され、こっちに回されたのね。しかし、事故でもあるので、一応、好きなことはできるようにとりはからってもらってます。」

ユウタ「まあ、よかったのかな、らもさん。生きて作品もっと見たかったけどなあ……。おや、ずいぶん古めかしい絵がありますね。えーっと、“『心中天網島』の二人”、と。はあー、これもここに収められてるんですか! この浄瑠璃、好きですよ。もう世間の束縛を離れ、心中するしかないと橋々を渡ってさまようくだり、涙出てきますねえ。」

イエス「よくご覧なさい。今の姿を。」

ユウタ「(ページをめくって)ありゃ、これは激しく、いがみあってますね。治兵衛『なんでこんな女好きになっちまったんだ! 生きてあのまま豊かに紙屋やってりゃよかったよ!』 小春『こっちこそ! 俗世と縁を絶つとかいって切ったあたしの髪をかえしてちょうだい! こんな頭じゃ恥ずかしくてここのみなさんに会わす顔がないわ!』」

イエス「どうです。嫌なものから逃げてしまった結末が、これです。」

ユウタ「こっちの世界も複雑な決まり事があるようですなあ。死んだらただ楽になるっていうのは嘘ですねえ。」

イエス「真っ赤な嘘でーす。(バンバンと誇らしげにカタログを叩く。)おや、あなたも思い出してきたようですね。さあさ、ご記入ください。」

ユウタ「(再び視点を変えて流れには逆らわず)あー、そういえば、おれ大の女嫌い、それも若い女の子が大嫌いで、ある晩、銭湯で間違って女湯に入ってしまって、こりゃかなわん、苦しい、苦しい、というので浴場に入水したんです。ああ、なんてことをしてしまったのでしょう! これから苦痛の女に囲まれた暮らしが待っているのですね。」

イエス「ないな、それはないな。都合よすぎます。」

ユウタ「うーん、あっ! おれ実は映画監督でして、次の作品が撮れなくて、もう嫌になって……」

イエス「(話さえぎって)それもあらへん、ここで映画撮りたいだけやろ。」

ユウタ「イエスさん! あなた知ってるんでしょう、おれの死因を! 言葉もだんだんいい加減になってきてますよ! だったら早く教えてくださいよ!」

イエス「し、知らないんだから……。(と顔を恥らうようにそむける。)」

ユウタ「それは明らかに知っている仕草ですよね。」

イエス「しゃあないなあ、あくまでも私の口からは言えんから、自分で自分の人生を振り返ってみい。そんならできまっしゃろ。そこにきっとヒントがおありやす。」

ユウタ「まったくもう何弁だかわからないな。遠藤周作の望んだイエスってこういう方向じゃないだろうに……。しかしまあ、人生振り返るしかないようですね。」

 

 ユウタは幼い頃から記憶をたどっていきます。いっときは流産しかけたと母からは聞いており、それでも生まれるために母胎にしがみついていたユウタ。そして、おぎゃーおぎゃーと無事にこの世に誕生し、父母祖父母親戚一同それから町の人々みんなの祝福を受ける。寝返れば寝返ったと喜ばれ、ハイハイしたらハイハイだと喜ばれ、立てばわあ立ったと喜ばれ、また発する一言一言もそうやって喜ばれ、周囲ともに喜びいっぱいの幼少期。不平不満などありはしません。

 

 幼稚園、小さくていじめられやすかったけど、いつも助けてくれる存在がいた。小学校も決して器用な子ではありませんでしたが、学年をあがっていくだけで楽しく、また周囲も楽しそうに見てくれていました。中学生にもなれば勉強の比重が大きくなりますが、新しい言葉は新しい世界がもたらされるかのよう、人生のフィールドはどんどん広がっていくのであります。高校生になればもっともっと勉強が占める割合が増えますが、涙がパンの本当の味を教えるように、辛さは人生をより味わい深くするものであります。フィールドも広がり、底も少し深まって迎えた大学生。考える頭にはときに悩みも宿ります。それを同世代の仲間たちと分かち合い、競い合いの受験から、“共苦”とでもいいましょうか、助け合って生きていくようになっていきます。

 

 ユウタはそんな仲間たちを思いながら、表舞台には出てこなかった祖父のことを見つめ返しました。ユウタが大学に行けたのも、祖父が自分の誕生から積み立ててくれていた学資保険があったからなのです。祖父に会いたい、祖父は1番窓口から入っていったはず、でも窓口が違うからお礼を言いにいけない、ユウタはそれがいかに辛いことかを知りました。

 

 そしてまた気づいたことがあります。こう思い返していきますと、人間といいますのは、生まれたときの祝福と、ずっとともに歩んでいるのです。あんよが出来ただけで世界がひっくり返るように喜んでもらえたときと今このときとは、連続しているのではないかと。ようするに、ただ存在しているだけで、どこかで呼吸をしているだけで、誰かに祝福され、また誰かを喜ばせているのではないか、とユウタは感じるのでありました。

 

ユウタ「……イエスさん。」

イエス「どないした?」

ユウタ「わかりました。」

イエス「おう、なら、はよいいな。」

ユウタ「おれは……おそらくまだ死んでいません。死ぬべき理由が見つかりませんでした。どう転んでもおれは4番窓口に行くことはないはずです。ここにいるのは、なにかの間違いです。」

イエス「……ファイナルアンサー?」

ユウタ「ファイナルアンサー!! というかこれが正解でなかったら、上でタバコふかしている上層部に再調査を直訴しに行きます!」

イエス「あー、それはやめてください、私、閻魔様から人間土足で入れたと怒られる。正解です、正解です、あなたの言うとおりです。」

ユウタ「閻魔様かなにか知りませんが、誤魔化すためにテキトーなこと言ってるんじゃないですよね。」

イエス「間違いなく正解です。あなたはまだ生きております。よくお気づきになりました。」

ユウタ「じゃあなぜここにいるんです! 早く帰してください!」

イエス「(プルルル、プルルルと鳴る内線に出て)“はい、わかりました、お楽しみいただけましたか? いやいやすみません、仕事でしたね、はい、任務完了ということでお帰しいたします。” ……ちょうど閻魔様からの電話でした。帰ってよろしいようです。では!」

ユウタ「ちょっと待ってくださいよ! どうやって帰ればいいかわからないし、そもそもどうしてこうなったか、きちんと説明してくださいよ。」

イエス「じゃあ手短にお話します。弟子たちが待っているので。先ほども言いましたように、閻魔様というお方がおりまして、あるとき“いつも死人ばかり見ていてはつまらぬ! 死ぬ前に呼んで来い!”とまあ、落語みたいなことをおっしゃるわけです。それで各窓口で集まって“どうするべさあ”“イエス様なんとかしてくださいまし”“死ぬ前に呼べるの、4番窓口しかないんでねか”と口々に言うもんで、私が引き受けたわけです。それで地上に降りてパタパタと空を飛んでおりましたら、古典文学のように眉間にしわを寄せ悩んでいる青年が町を歩いていまして、私は彼を『ウェルテルくん』と名づけたのですが、しばらく生活を追ってみました。で、やっぱり悩んでいるからイケると。それがあなただったわけです。」

ユウタ「ずっとついていたわけですか。どうも最近肩が凝っていたのも……」

イエス「それはただの肩こりです。私、関係ありません。あなた、いつも背中丸めて歩いていましたから、それでしょう。」

ユウタ「本当に見ていたんだなあ。」

イエス「よく期待通りに答えを導き出してくれました。外していたら閻魔様のことですから……地獄におちていたでしょう。」

ユウタ「はい? なにをさらっと……。」

イエス「まあ、グッジョブ、グッジョブ、ノープロブレム。とにかく帰れます。十字きってもらえますか?」

ユウタ「きったことないんでわからないんですが、胸のあたりで、こんな感じですかわあっ!!」

 

 ハッと目を覚ましますとユウタはいつもどおり床に伏しておりました。しばらくずっと寝込んでいましたから万年床。妙な夢を見てひどく汗をかいていたものの、どこかさっぱり心地よく、気分も少し晴れやかになっていまして、久しぶりに布団を干そうと思い立ちました。ベランダに出ますと、太陽がニコニコと輝いていて、生きてて良かった、しかしわがままな閻魔様だった、地獄にオチなくて良かったと、胸をなでおろしたそうです。

 

 落語にはオチが必要ですが、たまには“オチなかった”という幸せなお噺があってもいいことでありましょう。一席賜り、どうもありがとうございました。(お辞儀)

 

噺:シカミミ 絵:さめ子

 

シカ噺『第4窓口』オチ
 

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