シカミミの絵日記17『立て看板の彼女たち』

201404/22

 

 アイドルとは距離をおこう、と思った。というのも、アイドルの活動を日夜追っているうちに、彼女の触れるもの出会うものすべてに「嫉妬」を覚えてしまったのである。アイドルはみんなのもの、嫉妬とはすなわち独占欲。これは実にイケナイことだと感じたので、自粛するに至った。

 

 前にオーケンの言葉を引用し、生は漠然とした不安との夫婦生活であり、どこへ逃げてもその悪妻はやってくるから、むしろ自ら悪妻と付き合うようにして、どうにか彼女を手なづけてしまえばいい。生きることから逃げないようにして、何とか折り合いをつけた状態を「のほほん」といって、ぼくも「のほほん」と生きたい、と締めくくった。

 

 まじめなアイドル、ゆるキャラアイドルを見聞きすることはそれに与するはずだった。ところがこの渦巻く黒い感情はなんだろう。心の平穏に反逆しはじめて「のほほん」どころか「どろんどろん」になっていく。もとよりぼくは何事にものめり込みやすい体質なので一歩引くことができない。今回も“全力少年”になってしまい、折り合いの均衡を崩しにかかっていた。

 

 幸いにも「これはいかん、どうにかしなくては!」という理性はまだ残っていたので、ぼくは買い溜めたグッズを見ながら考えた。彼女の歌が聴こえてくる。“毒を制するための毒も”……ハッ! コレだ! アイドルを制すためには自分がアイドルになってしまえばいい!! 逃げるから「悪妻」はやってくるのだ、自ら進んで「悪妻」となれ!! そういうことだよね、オーケン。また岡本太郎は「法隆寺は焼けてけっこう、自分が法隆寺になればいい」と言い放った。タロー、それはアイドルに燃えてけっこう、自分がアイドルになればいいってことにしておくよ。

 

 近づかないとするからあのもどかしい距離が生まれる。同一化すれば距離はなくなり、逆に諧謔的な視点によってその存在が遠ざかる。ぼくはアイドルならぬ「シカドル」になることにした。

 

 まずはアイドルのライフスタイルを真似よう。フォト・ブックを開く。「前髪を切ってもらってテンションをあげる」というのは、ぼくに前髪がないことで不可能となった経緯はすでに書いた。違う方法を模索する。

 

“朝起きて1番にすることはおふとんの中でのTwitterチェック。「おはよう」ってつぶやくとみんなからの「おはよう」がいっぱい届いてすごくうれしいです。”

 

 なるほど! さっそく実践してみた。朝、目覚ましを止める。すかさず「おはよう」ツイート。着替える。返信なし。朝食を済ます。返信なし。出勤し電車のなかでTwitterをのぞく。返信なし。みんなお寝坊さんだなあ♪ とアイドルらしく微笑んで、ツイートを消去。

 

 一日が終わり、帰宅。「おはよう」がないなら「おやすみ」があるじゃない、と脳内マリー・アントワネットがささやく。いつもより早く布団にもぐりこみ「おやすみ」ツイート。羊が一匹、二匹、三匹……何千頭か数えたあたりで、返信は来ない、と気づく。みんな徹夜かな、頑張りやさんだなあ♪ とアイドルらしく励まして、ツイートを消去。

 

 それでもシカドルはあきらめない。現代のアイドルの武器、チェキを用意しはじめる。自分で撮って、自分で編集。ブースカを顔に当てかわいらしさを演出したもの、シガレットくわえ渋さを押し出したもの、たんにほっぺたを膨らましたもの、たくさんの「シカチェキ」をつくった。一枚500円。身近な人に話したら即座に「いらない」と断られた。まずは親友からかな、と何も言わずにとりあえず見せつけて反応をうかがったら、「このとき、おたふくになったの? 大人のおたふくは生殖機能に影響が出るっていうから気をつけて」と心配された。親友だな、と思った。

 

 もうやってらんない!! 誰もシカドルに注意を向けてくれない。意気消沈しながらパソコンで不用のシカチェキを整理していたら、さめ子さんの絵に目がとまった。

 

立て看板の彼女たち

 

 題して『立て看板の彼女たち』。そうか! ぼくは思わず膝を打った。これからはアイドルを「立て看板」としてみなせばいい。それがいかに綺麗で、可愛くて、美しくても、欲情などしない。心が「どろんどろん」にならず「のほほん」のまま向き合える。それにしても核心を衝いた良いタイトルだ。さめ子よ、ありがとう!

 

 しばらくのほほん、のほほん、と暮らしていた。“立て看板の彼女たち”は誰にでも愛嬌をふりまいていたが、ぼくの心を揺るがしはしなかった。

 

 ところが、である。かのアイドルはその隙間をついてきた。ある日Twitterを眺めていたらこんな写真が流れてきた。

 

ゆっふぃーと京都

 

 彼女は言う。

 

“この画像にご自身の画像はめて待受にすれば、女の子と京都デートした気分味わえます!彼女がいなくてご両親に心配かけてるそこのヲタさん、リア友との話についていけないヲタさん、そもそもリア友がいないヲタさん、ご自由にどうぞ(゚ω゚)”

 

 そこにいたのは「立て看板と化したアイドル」、略して「タテドル」であった。彼女はぼくの心を読んだかのように立て看板までもついに取り入れ、それと一体化していた。究極の姿である。これでは、これでは、「あれは立て看板だから」と逃れようがない……。

 

 ぼくの負けだ。顔をはめ込んだ。

 

ゆっふぃーと京都2

 

 なぜ学ランなのか。それは「高校の修学旅行」という設定にしたかったからだ。実際に旅行先は京都で、今も思い出によく残っている。色鮮やかな紅葉、仲間たちと巡った寺々、その数日間は、辛い受験勉強の日々なかでひときわ輝いていた。

 

 隙を見て、ぼくたちは集団行動から抜け出し、ある看板の前に駆け寄った。

 

「ねえ、森田くん、これ一緒に撮ろうよ」

「えー、恥ずかしいなあ、子供っぽいよ」

「いいから!早く早く!先生が来ちゃう!」

 

 こうして修学旅行のアルバムには、この写真が一枚、はさまれている。

 

 そして月日は流れ……。

 

そして月日は流れ…

 

 大学を卒業し、就職も果たしたぼくたちは、もう二人の前にさえぎるものは何もないと、神前に立った。

 

 ……ああ! なんという偽りの過去! 膨らむ妄想! 「タテドル」にまたしてもやられてしまった!! 現実は、過去にあったは「男子校」、今は「脱就活」の真っ只中。夢の前に立ちはだかる数々の壁と戦わなきゃならん状況なのだ。こんな遊びをしている暇などない!!

 

 これからは、絵日記の原点に立ち返り、実際に起きたこと、経験したことを、夏休みの宿題のごとく書きとめていく。あの頃だったら、牧場に行ったとか、遊園地に行ったとか、そういうことを綴っていただろう。もうすぐゴールデンウィーク、そんなネタには事欠かないはず……。

 

 ……ああ! なんということだ、スケジュール帳は真っ白! 『立て看板の彼女たち』の絵にあるように、切符売り場に立つことすらできない。学生時代は気の向くままに旅をしていたが、一人旅はもう飽きた。昔は人と気を合わせる必要もないので好んで一人で出掛けていったのだが……。桂米朝のはなす『馬の巣』という落語にこんなくだりがある。

 

“魚釣りといいやあ、この頃どんな仲間でいっとるんで? ひとり!! そやろうな、ひとりが一番ええでもう、気がそろうやろう、ひとりで気がそろわなんだら死ななしゃあない。”

 

 ぼくはまさに、一人で気そろわず死ななしゃあない状態にあり、ここを何べんも聴いては笑っている。さてここではじめの話題に戻りまして、そんな気持ちをシカドルとして歌にしました、というオチでご勘弁。

 

《予定が入らない》 歌:シカドル


予定が入らない 予定が入らない
yes, ゴールデンウィークの予定が入らない
ああ、俺は五月の鷹
子連れイオンモールの空を舞う

 

お金が入らない お金が入らない
yes, ゴールデンウィークでお金が入らない
ああ、握手・物販・チェキ一枚
お金がなければ近づけない

 

気合が入らない 気合が入らない
yes, ゴールデンウィークなのに気合が入らない
ああ、手つないで別れたあの日から
俺の心は未亡人

 

こんがらがった 赤い糸屑
解きほぐせやしないから そのままどっか遠くに飛ばして
恋人たちの見上げる 星屑になれ

 
予定が入ったよ 予定が入ったよ
yes, 加藤くんからの電話で
ああ、君じゃない 君しかいない
今宵は夢を肴に酒を飲む
 

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