シカミミの絵日記16『ジョッキンジョッキン』

201404/15

 

 アイドルとチェキしてもらい、うほほい、うほほいとしていたら、さめ子さんが『ジョッキンジョッキン』と題する絵を描かれていた。それを見て、すみません、すみません、浮かれないで日々生きます、とぼくは誓うのであった。

 

ジョッキンジョッキン

 

 というわけで、今回は髪の話でございます。前述したアイドルのフォト・ブックに “前髪をちょっと切ってもらうだけでもすっごくテンションがあがります♪”とあったので「なるほどね!」と思いハサミ持って鏡と向き合ってみたら、ぼくには「前髪」というものがないのでありました。

 

 でも、たしかに前髪を切るという行為は気分転換としてよく見受けられる。また髪型を変えることは、恋したとか、失恋したとかいうような言外の意味を持つ場合がある。周りもそれを見て気遣ったり、喜怒哀楽をともにしたりするものだ。

 

 ところが困ったことに、ぼくはどんなふうに髪を切っても気づいてもらえない、ゆえにかまってもらえない。ぼくと理容師さんとの付き合いは約七年にわたってつづいたが、切るたびに一応「今回は短めにお願いします。」(さっぱりしたいから)、「今回は長めにお願いします。」(大人びたいから)、「今回はいまどきの若者のふうにお願いします。」(かっこつけたいから)といったオーダーを出し、ともに求める「シカミミ像」を苦心してつくりあげてきた。

 

 しかし、この数年間、「森田くん髪型変えたね!」と誰からも言われたことがない。こんなのもあった。ぼくは放送やイベントには必ず散髪してから臨むのだが、あるとき忙しくて伸び放題のまま参加せざるえない機会があった。これには相当焦った。自らを多くの人目にさらす活動は、しゃべる内容よりも与えるイメージが第一である。とりあえずありったけの整髪料を使い無造作に髪をかき上げ、会場に足を運んだ。ああ、憂鬱だ、恥ずかしいとテンションは下がりっぱなし……。そこで、共演者の方から言われた一言。

 

 「森田くん、髪切った? 印象変わったね!」

 

 なんで! どうして!! こんなに伸び放題で前回お会いしたときよりも明らかに長くなってるでしょう!!! 毎月、毎月の理容師さんとの力作は結局無意味だったということですか!? ぼくの髪を切る意味ってなに??

 

 この誤解にもとづく「髪切ったね」が、ぼくが唯一言われたことのある“気づきの言葉”である。テンションがさらに下がったことは言うまでもない。

 

 ここまでくると、もう丸坊主にでもしないかぎり、「森田くん……失恋したんだね。」などと慰めてくれやしないのではないか。前髪を切っただけで「あ、ねえ、いま恋してるでしょ!」とこづきあっている人たちがうらやましい。

 

 では髪をうんと伸ばせばいいかといえば、そうは問屋がおろさない。髪質がかなり硬くて太いので、伸ばしてさらさら~というわけにはいかないのだ。昔はこうじゃなかったのにねえ、と美容師の叔母は懐かしんで言う。子供の頃は、いつも叔母に髪を切ってもらっていて、前髪もちゃんとあった。

 

こどもシカミミ

 

 ね、ちゃんとおでこにかぶさっていて、いかにもさらさらで、加えてかわいいでしょ。このまま大人になっていれば色んな髪型にチャレンジできたはずだし、あわよくば、モテモテだったはず……。

 

 なんで髪質は変わるのでしょうね。そして体は毛深くなるし、髭も生えて面倒くさい。とくにぼくは髪のみならず髭の成長もはやく、学生の頃、一緒に一限の授業に出た友人と六限に出くわして「え……誰?」と驚かれたことがある。朝と晩で顔が違うのだ。野球選手でたとえるなら、朝はつるつるの坂本勇人で、夜はなぜか濃いイチローになっている。翌朝になればどこかの外国人選手にでもなっているだろう。

 

 そこでついたあだ名が「ひこにゃん」ならぬ「ひげにゃん」という、いかにもパチモンくさいゆるキャラ名だった。でも、そうやってもてはやしてくれるならと、顔一面に生やしてみたら、誰も近寄ってくれなくなった。全然ゆるくなかったのである。

 

 なんだか悲しくなってきた。こんなことを語っていると「薄毛にならなくていいじゃん」と励ましてくれる人もいるが、ぼくはただ、薄毛でも剛毛でも髪型のチェンジに気づいてほしいだけなのだ。薄毛で悩んでいる人には申し訳ないが、「薄毛になったね!」でもぼくは嬉しい。そのときはともに心配し、痛みを分かち合ってください。

 

 まあ、髪の毛なんて年をとれば必ず薄くなり、最後にはなくなるのだから、それ自体にはあまり執着はない。ある日、祖父母の家に帰ってみると、叔母が縁側で祖父の髪を切っていた。つまり、娘が年老いた父の髪を手入れしている。遠目から見るに、祖父の髪って、切るほどもない。白髪が冬枯れの芝生のようにカサカサ、という感じである。ヘアスタイルもなにもない、そこにあるのは「ヘア」だけである。でも祖父の首にクロスを巻き、小さくなった背中をちょこんと座らせて、チョキチョキ、チョキチョキ……と鋏を入れていく。静かに時は流れる。陽がちょっとずつ傾いていく。その二人の後ろ姿を眺めていて、単なる親孝行という言葉を超えた、人間が生きていくに必要な交流、ある愛情を感じた。髪を切るって、そういうことなんだと。

 

 ぼくが髪型を見て見て! と言うのも、実はそこに注がれた愛情を知ってもらいたいからなのかもしれない。たとえそれが仕事であれ、髪を切ることは、人生でその瞬間を共有しているありがたさ、喜び、そして少しの切なさがギュッと詰まっている。いずれ髪はなくなっても、両者で紡いだ関係性が消えることはない。

 

 祖父の髪は日に日に薄くなっていく。その時間を繋ぎとめるかのように世話する叔母。ぼくは伸びざかりのときにジョキジョキ切ってもらったけど、あの優しい匂い、あの温かな感触は、今も心のなかで薄まることなくとどまっています。

 

 
※おまけ
さめ子さんが『ビジネスリュック萌え!』と描いていたので……
 
ビジネスリュック

 

……見て見て! どう、萌える!? 萌えーってくる!?

 

シカチェキ ビジネスリュック今日のシカチェキでした。