第20回別冊スクラップブック『#ゆーふらいと / 恋のフライト』

201404/12

 

 寺嶋由芙! 寺嶋由芙! ディランは捨ててなどいない。ぼくの心を支える、命の次に大事なものだ。寺嶋由芙は、命である。

 

 これまでに異性に対して淡白であること、ゆえに聴く楽曲も70年代あたりのあっさり系のアイドルになっていったこと、でも人肌恋しいから温もりを求めて快獣ブースカを抱くようになったことなどを告白してきた。それは筋肉少女帯のオーケンこと大槻ケンヂの生き様にならっているが(好意を寄せられた女の子よりもブースカを選び、無縁仏になるしかないと決意した男だ)、オーケン2号のぼくは、まだその寂寥感をぬぐえずにいた。

 

 やっぱり人間とちゃんと接したい。そういう本能がまだ残っている。この世のどこかに、昔のような真面目さがあり、ブースカのような存在を認められ、清純に振舞う方がいれば……。

 

 菩提寺医師から「その方」を知らされたのは、ブースカとの散歩を終えた翌日だった。元BiSのメンバーで、テラシマユフというアイドルがいて、ぼくみたいのには彼女しかいないのではないか、と。ふーんと聞いていた。現代のどんなアイドルでさえ孤独で凍りついたこの心を癒すことはできまい。アイドル本の書評は熱意を込めてやってみたが、そのアイドルに没頭している書き手(ぼくの“淡白”を突いてきたあのS先生である)の感覚はわからず、ハハハ、あんなにハマっちゃって! と腹の底で笑っていた。(悪いやつだ。)

 

 とにかくアイドルとは無縁の日々だった。強いて言えばボブ・ディランこそがぼくにとってのアイドル(崇拝対象)であり、憧れのボヘミアン的なミュージシャン、吟遊詩人の歌声に実存のすべてを捧げてきた。

 

 いや、当たり障りのないつまらぬことを言ってしまった。実は中学生の頃にハマった女性歌手がいる。Every Little Thingの持田香織だ。シングル(初期は8cmだった)、アルバム、全部集めていた。振り付けも覚えて(持田さんほとんど動かないのだけど)誰もいない部室で練習していた。もっちーがGジャンを着ていればぼくもGジャンを買った。ミニスカ・ロングブーツにも手を出そうとしたが、親に心配をかけたくなかったのでやめた。そんな奇抜なやつがいれば少年院に送られそうな田舎だった。

 

 町を出よう! 東京に行く! そして持田香織に会う! と中学生のぼくはある日思いついて電車に飛び乗った。もっちーの故郷だという亀戸へ。たしか写真集に書いてあったのだ。そこには亀戸天神社を散歩するもっちーがいた。

 

 会ったらなにを話そう、生徒手帳にサインしてもらおうか、わーわー!……電車の中でずっと考えていた。夢がパンパンに膨らんだときに亀戸駅に着いた。行き交う大勢の人々を眺めてはたと気づいた。ぼくはもっちーの住所を知らないではないか!! 行けば出会えるなんて巨大隕石が地球に衝突するくらいの確率でしかない。東京は、大きなところだぁ!

 

 ぼくは引き返した。でもなんだかホクホクしていた。「同じ空気を吸った」と思ったからである。

 

 寺嶋由芙のCDをタワレコで手に取ったとき、この思い出がよみがえりすぐに消し去った。またあんなことになったら大変だ。《#ゆーふらいと》は三種類あったので、そのうちの一枚を選んでレジに持っていった。そうしたら店員さんから「チェキはいらないんですか?」と聞かれた。チェキって何? 三種類買えばもらえるというが、それは何? どれも同じ歌が収められているんでしょう、全部買う人っているのだろうか。「うーん、チェキ的なものは別にいらないです」とぼくは適当にぼかして答えておいた。

 

 さっそく聴いてみた。おや…おやおや……なんか、いい。

 


くぐもった視界の中 靄(もや)ける世界 おかしいよね
まだまだ ひとりだけで 戦わなきゃなの 覚悟決めなきゃ
理不尽もなれっこだって ねぇ 笑うから

 

 まるで自分に向けられた歌詞のようだ。見通しの悪い、どこかくぐもった社会、ぼくは自分の道を切り拓くべく、多勢に属さない「脱就活」にひとり踏み切った。それは思った以上に過酷で孤独で厳しい戦いだった。自分と向き合い、表現を通して“おかしな”社会と対決していく。苦しいときは、普通に就職したほうがよかったかな、と思うこともある。大きな組織に身をゆだね、定年まで勤め上げ、安らかに死んでゆく……。でもね、安定よりも激しく生きた証を残したい。バカなやつがいて無謀にも夢を追い社会とぶつかって敗れていったと言われても構わない。それはありうる結果であり、いま問題なのは“戦う覚悟”があるかないか、ただそれだけなんだ。そしてそれは自分で決められる。

 

 “理不尽”という言葉が出てきたことにも驚いた。アイドルが「理不尽」と歌うとき、その意外さ、そのギャップは、ディランが当時のポップスに社会の象徴的な批判や渦巻く自己の葛藤を織り交ぜた衝撃にも似ているとぼくは感じた。すなわち、かっこいいのだ。作詞は「でんぱ組.inc」の夢眠ねむが手がけているが、それを受け取った寺嶋も「“なんでわかったんだろう?”って思うくらい感動した」とインタビューで答えている。理不尽や不条理がこんなにも社会にあふれているなんて働きはじめてから実感していったが、それを“なれっこ”にして生き抜く術を身につけていくことが、ぼくの目下の課題である。

 

 歌詞を目で追いぐいぐいその世界に引き込まれていった。ところが途中から歌詞が掲載されていない。ムム、これは演出か! (実は掲載漏れだった。) 耳に意識を集中させてさらに深く入り込む。

 


稀に隠せない爪も 毒を制すための毒も
がむしゃら 剥き出しで 戦うことに慣れてかなきゃなんだけど
愛情の感じ方だって ほら わかるから

(…)

甘いお守りがなくなるのは ちょっと不安で
でも振り返らず進め……飛べ……いま……!

 

 大ジャーンプ!!! ぼくは再びハートに火をつけられた! ここがロドスだ、ここで跳べ! ゆっふぃーこと寺嶋由芙のキャッチフレーズは「古き良き時代から来ました。まじめなアイドル、まじめにアイドル」。なんだオレにぴったりじゃないか! リリーズ、南沙織、木乃内みどり、そんなアイドルを夜な夜な聴いているし。またゆっふぃーは各地の「ゆるキャラ」を応援しているという。なんだオレにはブースカがいるぞ! 「淡白あっさり人生×ブースカ=シカミミ」、「古き良きまじめなアイドル×ゆるキャラ=ゆっふぃー」、みごとに軌道が一致、つまりこういうことだ!

 
ゆっふぃー×ブースカ
 

 また調べていくと、ゆっふぃーは早稲田大学で〈『物語』としてのゆるキャラ論〉という卒論を書いてこの春に卒業しており、指導教授いわく「その水準は高く、現役アイドルにして、アイドル評論家になれると思いました」とのこと。アイドルとしての実体験からアイドルの言葉を見出していく姿勢は、脱就活を実践し生のオルタナティブを描写していくぼくの「生の形式としてのエッセイ」にも近い。その卒論をぜひとも読んでみたい。

 

 と、菩提寺医師に嬉々として話していたら、じゃあ会いに行ってそう言ってくれば、とおっしゃる。いやいや、そういうのが苦手だから「淡白宣言」したのではないですか。その手の的確な行動力があったら、「恋の永劫回帰」で書いたように女の子を前にしてぴゅーっと逃げやしませんよ。カフェ連れ回しだってしませんよ、きっと。

 

 とにかく行くんだ! と言い訳を制御され、ちょうど翌日に開催される代官山でのライブ情報を伝えてくれた。えっ明日ですか!! 心の準備が……。

 

代官山におけるブースカ

 

 来てしまいました……。ひどく緊張しています。よく手に汗って言いますが、汗さえ出ずに冷たくなっています。しかしぼくはもう25歳、亀戸駅で空気吸って満足して帰った子供ではない。大人だから、帰れない……。

 

歩道橋からブースカ

 

 ぼくは、変わるしかない。“覚悟決めなきゃ”だ。会って、いまの時代、ぼくみたいなまじめなアイドルに対する需要は絶対にありますから、求められてますからと気持ちを伝えて、その活動を応援したい。

 

 でも、しつこいようだが、普通の女の子にさえ普通に接することが出来ないのに、ましてやアイドルに話しかけることなど……。いうなれば経験の乏しい「恋のスラム街」で育ってきたわたくし。菩提寺医師は「じゃあ“ぼくはしゃべれません”ってしゃべればいい」という。そういう発想、ぼくにはないんだ……。

 

 どんどん冷たくなる手をブースカで温めつつ、一歩一歩進んでいく。着いた、「代官山LOOP」だ。

 

代官山LOOP

 

 まだライブハウスにたどり着いただけなのに心臓がバクバクである。先客たちは和気あいあいと楽しみに開場を待っている。どうやらこのようなライブでは、ファンクラブというか、仲間たちがすでにいるようだ。すごく心細かった。“ひとりだけで 戦わなきゃなの”という状況になっていた。

 

 

……ひとりだけで、戦ってきました。もう、すごいのです。集まった方々、開演するや否やみんなで踊りはじめて、まるで客にもリハーサルがあったかのようにきれーいに揃っているのです。振り付けはもちろん、掛け声、合いの手の類もきちんと決まっている。最初、なんで春先なのに多くの人が半袖シャツやタオルを身に着けているのだろうと不思議に思っていたのだが、このように踊り狂うためだったのだ。その動きは、ここはどこかのジムかと見まごうほどに飛び跳ね激しく、もうスポーツといってもよいほど。ぼくも隅っこでぴょんぴょんしていた。

 

 そうこうするうちにゆっふぃーの出番。いちばんのお目当てアイドルなのだからぼくもさぞ激しく体を動かしたに違いないと思われるかもしれないが、そのステージを見た途端に佇んでしまった。期待はずれだったのではもちろんない。彼女に“神”を見てしまい、畏れいってしまったのである。これがS先生がアイドル評論で言っていた「鎮魂を司る芸能の神」の姿であり、見る者の魂を文字通り揺さぶる「たまふり」か。これまでの暗い人生ではじめて「生きた」心地がした。ゆっふぃーを経て本来の自分が戻ってきたようである。

 

 そしてもう感動を通り越して「オレもアイドルになりたい」という妙な感覚が芽生えた。(ミニスカ・ロングブーツが脳裏をよぎる。)それほどまでに惹き込まれたのは、やはり彼女が「まじめ」であろうとするからではないか。奇をてらわずにいるからこそ、むしろ純粋に“巫女”としての力が発揮される。もしかして“古き良きアイドル”とは、そういったものだったのではないだろうか。だからいま、求められるべき価値がある。

 

 ゆっふぃーはMC(トーク)も見事だった。場所がお洒落なイメージの代官山ということで、集まったファン(オタクさん。自分もね)に「みなさんは代官山とかいらっしゃらないと思いますが」とまず切り込み、「来るよ!」という返答には「なんか最前の青ジャージの方が見栄を張っていますが、普段は秋葉原でしょ」というふうに切り返し、そこで「でも! 私の物販でTシャツを買えば『きょう代官山でTシャツ買った』と言えます!」と会場の笑いを誘う。

 

 笑ってほぐされ聴いて惚れて、ゆっふぃーのステージが終わった後も、身体が神化したぼくはノリノリで他の出演者の演奏に心酔できた。そしてあっという間に時は過ぎ行き……。

 

 かの物販ターイム!! ライブで各アイドルに近づくには終演後のこの機会しかない。それまでの勢いでゆっふぃーに向かって行ったかといえば、ぼくはまた片隅でぶるぶると震えていた。き、緊張……。深呼吸をまずしなければ……ひっひっふー、ひっひっふー……後から思えばぼくはラマーズ法をしていた。いったいなにを産むつもりだったのか。

 

 しかし一応、愛情、勇気その他が生まれ、CD『#ゆーふらいと』の残りの二種類を買った。(誰が同じの買うのって、自分だったという結末。)そうしたら、「チェキ」できる券も入手した。でた! チェキって何!? もうしったかぶらないで素直に聞くと、ともに写真を撮ってくれるという! いいじゃないかチェキ!! チェキほしいよー。

 

 チェキ券を口実に、無事にゆっふぃーと接することができた。しかし完全にあがっていたのと、環境的に会話できるほどの時間がなかったので、「あ、あ……」と吃音になってしまった。あの…応援してます……とだけはなんとか言って、しゃべれないならええい!! とばかりに鞄を開き、マイゆるキャラ、ブースカを見せた。

 

 すると、ありがたいことに「わあっ!」と反応してくださり、手にとってくれた。ぼくは遠慮して自分だけブースカを持って写真に写ろうとしていたのだが(それにゆっふぃーには推しのゆるキャラがいるので)、予想外なことになり、ここぞとばかりにぼくは「妹ブースカ」を取り出した。そして、ともにブースカ兄妹を抱いての撮影となったのだ……!

 

寺嶋由芙さんとチェキ

 

 ゆっふぃーの持ち方、ご覧ください。がさつに握るぼくとは違い、ちゃんとぬいぐるみの形を把握して、耳とかに触れて優しく持ってくれています。間違いなくゆるキャラを慈しみ応援するアイドルだと確信しました。そしてぼくは言いました。

 

 「だ、代官山でTシャツを買わせてください……。」

 

ゆっふぃーTシャツ

 

 後の会話は極度の緊張で覚えていない。卒論のこと、少し話した。本当に興味があるので、自分の母校でもある早大に行って読めたらと思う。そして今度はその感想を綴れたらと。

 

 ライブハウスから出たぼくは放心していて、村上春樹『ノルウェイの森』のラストのように「ぼくはいまどこにいるんだろう」状態になっていた。歩く方向を何度も間違えたし、乗る電車も間違えてしまった。終電を乗り継ぎ家路についた。おぼつかない頭でこれまでの流れをたどってみた。
 
 
ゆっふぃー×ブースカ
 
 

#ゆーふらいと二枚

 
 

寺嶋由芙さんとチェキ

 
 
 おとぎ話のような展開ではありませんか。『淡白宣言 / 恋に木枯らし』、『愛しのブースカ兄妹 / 恋の永劫回帰』の一連のエッセイを締めくくる、奇跡の不時着。

 

 恋を中心とした、人と接することの不安、逃避の問題からはじまったこの物語は、ゆっふぃーという存在を通して、あるいはそこに結実して、想う誰かを臆せずにきちんと愛そうという地平にたって離陸した。人生も恋も「覚悟を決めなきゃ」ならない。この覚悟を、アイドルの力で身体感覚的に伝えれくれた《#ゆーふらいと》にちなんで「恋のフライト」と名づけよう。“恋の三部作”はこれにて終わり、これにて始まる。

 

 最後に、オーケン2号として、オーケンの言葉を引用する。大槻ケンヂ『のほほん雑記帳』より。

 

“人生は大いなる漠然とした不安との夫婦生活だ。どこへ逃げても逃げ場はなく、眠っても悪夢となって悪妻はやってくる。悪妻からは逃れられない。だから、むしろ自分から悪妻と付き合うようにして、何とか彼女を手なづけてしまえばいいのだ。生きることから逃げないようにして、何とか折り合いをつけるようにするのだ。”

 

“折り合いのついた状態を「のほほん」と言う。のほほん、のほほん、のほほんと生きたい。”

 

 「まじめ」と「ゆるキャラ」を組み合わせた生のあり方が、「のほほん」とも言えるだろう。ぼくもそんな人生を送っていきたい。

 
 

※寺嶋由芙さん Official Web http://yufuterashima.com/

 

※『#ゆーふらいと』Music Video https://www.youtube.com/watch?v=ZE55vWzF31U