第6回別冊スクラップブック『父の買ったシューツリーと、ぼくの買ったレザークリーム』

201305/26

 入学祝いにもらっていた、赤いガラスレザーのカバーを磨いていて思い出すのは、やはり大学生活のことである。おそらくは「これを使って勉強しなさい」という父の期待が込められていたのだろうが、当初はろくに授業など出なかった。受験の反動とでもいうべきか、入学してから“すべきこと”よりも“したいこと”に目を奪われ、名画座や図書館で映画を一日中観ていたり、違う学部や他大学をふらふらしていたりと、親にとっては背徳的な行為を繰り返していた。「偏差値教育はおかしい!」「本当の学びは大学の外にある!」と本人は社会正義的な情熱を掲げて行動しているつもりだったが、はたからみれば暇に追われた“難民”にしか見えない。何度も家族会議が開かれた。授業で学んだ難しい言葉はそこで活用し、自己を堅固に正当化してはするりするりと逃げまわっていた。闘いは激化する一方だったが、徐々に父の設定する期待値は下がっていった。大学五年生になったときにはもう「まともになれ」とは言わなくなった。脱就活の道を選んだときには「生きてればいい」と言われた。たしか、入学前には「国家公務員がいいぞ」と勧められていた気がする。

 

 その後、ぼくは出会いに賭けて冒険した大学の五年間が幸運にも実を結び、いろんな人や縁に支えられながら、なんとか就活しないで生きる道を切り拓いている。父も父で相変わらず働いており、両者の闘争は一段落、精神的に独立した個人同士がルームシェアしているような関係で暮らしている。(とりあえず「生きている」から文句を言われないのだろう。)父もぼくも互いの生活には無関心。父はぼくの関わる映画のイベントやネット番組、そしてエッセイなど「興味がない」と見ることはなかった。つい最近まで、そんな日々がつづいていた。

 

 ぼくは今も学生時代の自由な感覚そのままに、好奇心旺盛に動きまわっている。ある日、ぼくにとっては大枚をはたいて、唐突にロイドフットウェアの革靴(第3回別冊スクラップブック参照)を買ってきた一日があった。次の日、仕事から帰宅してみると、父が玄関で背中を丸めてその靴をじーっと眺めていた。ぼくはあえてなにも触れずに自室に入った。

 

 あくる日、同様に帰宅してみると、父が「いまシューツリーを買ってきた」と靴の木型を渡してきた。一瞬驚いたが、これがうわさのシューツリーかと見入ってしまった。ぼくは「靴」と「シュークリーム」と「ワックス」を買うので金銭的に精一杯で、履いたら新聞紙でもつっこんでおこう考えていたのだが、目の前に最後のピース、「シューツリー」が置かれた。

 

シューツリー

 

 父は「良い靴は、大事にしなければいけない。シューツリーは必要だから、お父さん買ってきた。」と言う。仕事おわりに、新宿の伊勢丹メンズ館の地下に向かい、息子がロイドの靴を買ったのだけどそのシューツリーが欲しいと、かけあったらしい。サイズは7だと伝えてみるも(しっかり調べていたのだ)、靴売り場の店員さんは「実物がないと売れません」と応答する。ロイドが“足に合わない靴は売らない”としているように、ちゃんとした商売をしているところでは、決していい加減にものを売らない。それでも父は「これは息子のものなので、もし合わなかったら、息子を連れて返しに来ます。だから、とりあえず売ってほしい」と交渉した。懇願する父の姿勢に心打たれたのか、「それならば…」ということで、店員さんはロイドの靴にフィットしそうなシューツリーを選んでくれた。

 

 父はぼくにさっそく「入れてみろ、入れてみろ」と促す。ぼくは慣れないので少し手間取ったが、なんとか靴に収めることができた。「入った、入った、ちょうどいい」と父は喜んでいる。そのとき、ぼくも忘れていたお礼を言った。

 

ロイドとシューツリー

 

 互いの生活空間は侵さない日々を送っていても、ぼくは父がどうやら靴に凝っているらしいことは、薄々勘づいていた。家に靴に関する書籍が増え、この前は靴箱をつくっているのを目撃した。当然、靴を集めているに違いない。改めてその新調した靴箱をのぞいてみると、父の良さそうな革靴がずらっと並び、そのどれもにシューツリーがセットされていた。父は熱心に靴の手入れの仕方を説き、ぼくに飯野高広『紳士靴を嗜む』という本を貸してくれた。これには人間の足の構造のことから、さまざま靴の種類や特色、その手入れ方法まで書かれていた。

 

『紳士靴を嗜む』

 

 まさか「靴」を媒介として父に近づけるとは思いもよらなかった。父も息子が書いた靴のエッセイを読み、はじめて「良かった」と口にする。もっと早く聞きたかった言葉だが、これはものを書きつづけていて「良かった」と思えるときでもある。そして一度、このような接近があれば、互いのジャンルに踏み込んでみようとする意欲がわいてくる。父はぼくのサイトに今頃アクセスし、そのコンテンツをすべて見てみたという。ぼくは菩提寺医師の案内もあって、いままで馴染みのなかった伊勢丹などに足を運ぶ機会が多くなった。行ってもなかなか購入できずに緊張するばかりだが、ここで父が交渉したのかと思うと、少し親しみが感じられる。またたとえ散策するだけであってもぼくの好きな冒険性が伊勢丹にはあり、新宿店本館二階の婦人靴フロアには、フロベールの『感情教育』といった小説が靴と一緒に陳列されている売り場があった。それはただ靴を売るだけでなく、商品の背後にある関係性(思想や歴史)までうまく引き出して、訪れた人に提供しようする試みとして面白く目に映った。父がぼくのサイトを閲覧したように、ぼくも新しい魅力的な世界をまた一つ知ることができた。

 

 この“闘い”から“休戦”へと向かう流れの延長に、“赤いレザーカバー”の発掘があった。この関係性、ちゃんと磨こう、まだまだ磨こうと、ぼくも仕事あがりのある夜、レザーの手入れ道具を探すために、新宿の東急ハンズに急いで向かった。

 

 今の時期(五月)、新宿のハンズは夜9時まで営業している。その日、ぼくの仕事が終わったのは夜8時ごろ。残り一時間しかない。入口のドアを駆け込むように通り抜け、エスカレーターは右側を歩き、まずはレザークラフトがある7階に行ってみた。そこにいた店員さんに現物を見せながら「これを磨くものが欲しい」と伝えると、「ここでは適切な案内ができないから、6階の相談カウンターでうかがってみてください」と返答が。ぼくはお礼をいって、急ぎ足で階を降りた。閉店まで30分くらいだ。

 

 相談カウンターは夜も遅いせいか対応者の人数が少なく、発券機から番号札を一枚引き抜いてしばらく待った。待つといっても、そんなに時間はない。唯一そこにいるお姉さんは電話対応をしていて、なかなか途切れそうもない。そんななか、佇んでいるぼくの隣に一人のお客さんが割り込んできて、相談カウンター越しに見えるレジの店員さんに質問を投げかけた。「おい!!」とぼくは心で叫んだが、レジの店員さんも相手をしないわけにはいかず、その客の話を先に聞きはじめた。ぼくにできる最大限の怒りの表現は、手に持っている番号札を客の目にチラつかせることくらい。なにより知らない人と話すのが苦手なのだ。

 

 電話していた相談専門のお姉さんが受話器を置き、「お待たせしました」とぼくのもとにやってきた。すまなそうな雰囲気が漂っていたので、こちらこそ焦らせてすみませんでしたと言いそうになった。…いやいや、あと15分!要件をまくしたてる。

 

 お姉さんはぼくのカバーを手に取り、「この手入れですか…」と難しい顔をする。そして再びトランシーバーのような通信機器を耳にあて、革靴コーナーからおじさんを呼び出した。おじさんはちょうど近くのフロアにいて、ぼくはおじさん目がけて走っていった。

 

東急ハンズ「靴」

 

 東急ハンズは現在「靴工房」みたいな革製品とその備品に特化したフロアを設けていて、ぼくはそこに通された。いかにも職人といった風格のある年配のおじさんは、ぼくのカバーを直視してうなる。「ガラスレザー、つまりコーティングしてある革に、うまくクリームが染み込むかわかりませんが…。」「裏はなめしですかね…。」「無色で傷まないものかな…。」

 

 そこをなんとか!と願う気持ちで、必死におじさんに頼み込む。「これをなんとかきれいに磨きたいんです。ダメもとでいいんで、一番良さそうなものはありますか?」

 

 おじさんは「ダメもとといってはなんですから、まずは試してみましょう」と言い、「これならどうだろう」とあるクリームをクロスにつけた。それを赤いガラスレザーの半分に塗り込み、次にからぶきをする。すると、その部分だけ、明らかにツヤが出ていることがわかる!

 

 「ああ!これでツヤが出ましたね!」とぼくが小躍りすると、「ここと、ここ、違いがわかる程度にはなりましたね」とおじさんはあくまで冷静に答える。「これ買います!」と言葉を残して即座にレジに移動した。手にしていたのは「M.モゥブレィ・アニリンカーフ クリーム」だった。

 

 会計を済ませ、腕時計を見たら、あと数分で店じまいというところだった。店員さんの見事な連係プレーで、ぼくは目的を達成することができた。しかも、その限られた時間で、おじさんは手を抜いた仕事はせず、ぼくが持ってきた革に悪いものは与えまいと思案してくれた。ぼくは帰りの電車のなかで、父が伊勢丹で語り合ったであろう店員さんに、東急ハンズで試し塗りまでしてくれたおじさんの姿を重ね合わせた。

 

 ぼくが家に着いたとき、まだ父はいなかった。父か帰ってくる前に磨こうと思った。やるべき仕事を深夜に先延ばしにし、大事ななにかのために懸命に力を尽くす。

 

 これが購入したモゥブレィのクリーム。

 

ガラスレザーとモゥブレィ

 

 少量をクロスにつけて軽く塗り込む。

 

モゥブレィで磨く

 

 そしてからぶきをする。

 

からぶき

 

 こうして磨き上げたガラスレザー!ツヤツヤだ!

 

磨いた後のガラスレザー

 

 内側の本革にも使えるということで、同じ手順で手入れしてみた。なめらかになった。

 

中身の本革も磨く

 

 ちょうど磨き終えたころ、父が帰ってきた。父に専用のクリームを買い、この「色」を見せたら、笑顔で喜んでくれた。そしてなんと、このクリーム、父さんも使いたいからとお金を肩代わりしてくれた。良いものには惜しみのない人だ。

 

 ぼくが靴を買い、それを見た父がシューツリーを買い、ぼくも仕事おわりにお店に向かってクリームを買う。そしてこれからは、このクリームを共有してそれぞれの革に塗り込んでいくことになる。今も互いに違う価値観のもとで、別々の現実を見据えながら、自分の信念に従って生きているぼくたち。これはきっとこの先も変わらず、ぼくは脱就活を志し、父は長年かけて築いてきた土台の上で生きていくことだろう。しかし方向が違っていても、たまに“同じ景色”を見ることがある。ぼくがこどもだったころよく家族で写真をとったが、それぞれが歳を重ねていくにつれて、記録のような瞬間ではなく、そんな“心の景色”を共有していくことのほうが大切になってくる気がする。父は、この一連の出来事のあと、ぼくのエッセイを読み直し“シカミミの志向や考え方への理解が深まった”とメールしてきた。かつてなら想像できなかった展開であり、ぼくが今後もエッセイで“心の景色”を描写しつづけていく限り、またどこかで次の眺めが重なり合うときが来るのだろう。ぼくは言葉のそのような力を信じている。