第4回別冊スクラップブック『ディラン・モノ・ボックスと“360 SOUND”』

201305/20

 

 「モノ・ボックスが消えた…。」

 

『ディラン・モノ・ボックス』

 

 しっかりと働いた仕事あがりの午後、新宿のdisk union新館を訪れたぼくにある衝撃が走った。ずっとねらっていた『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』が、いつも置いてある場所にない。ディランのコーナーを注意深く一枚一枚かきわけてみたものの、とんと消えてしまった。お金を少しずつ貯め、今月こそは手に入れられるだろうと信じていた矢先、ついに誰かに買われてしまったのだ。一緒に来ていた菩提寺医師も「森田くん、かわいそうだね」と悲しげな顔をしている。

 

 そういえば、隣接するbook unionにあるディランの本も、欲しいと思っていたものに限って、その日なくなっていた。これは「同一人物」の仕業に違いない。おそらくはお金に困らない“ディランおじさん”が、あれもこれもと買い占めていったのだ。勝手にその人物を“中高年のおじさん”と想像しているが、かつてロック少年だったファンが、今やお金に余裕のあるオトナになり、レコードやCDを心ゆくまであさっている。ぼくにとって彼らの存在は“新入り”をおびやかす「妖怪」のように見えてならない。彼らが徘徊したあとには草木も生えぬ。ビートルズコーナーに群がっているおじさんたちなど見ると、ビートルズに興味はなくとも焦燥感に駆られてしまう。彼らが大量に腕に抱えているアルバムがとても気になる。

 

 “ディランおじさん”にぼくの一つの青春が奪われた。何か月も確認しながら追っていたぼくの宝物。そもそもなぜディランのモノラル音源を求めているのかといえば、菩提寺医師に聴かせてもらったディランのLPの感動に始まる。教えてもらったところによると、コロムビアが出したレコードには60年代の「360 SOUND」レーベルと、70年代以降の「レッド」レーベルがあるらしい。当然、60年代に数々の傑作を世に送り出したディランのUSオリジナル盤は「360 SOUND」となるわけだが、ぼくはその音に近づきたいと思っている。これはなにがなんでもオリジナルを良しとする至上主義的な発想によるものではなく、単純に自分好みの音がそこにあるからだ。ちなみに先生はマイルス・デイヴィスの『In A Silent Way』で時代ごとに変わるレーベルの音(つまり1stプレスと2ndプレスの違い)を聴き比べさせてくれた。ぼくはやはり「360 SOUND」に音の奥行きと深まる精神性を感じた。国内盤は論外だった。

 

 自分でもこの音を毎日聴きたい!先生のLPで試聴してからというもの、ぼくはその豊かさのとりこになっていた。最初はヘッドホンアンプの使用を思いつき、先生とともに家電量販店で試してみたが、どうもしっくりこない。個々の音が“きれい”すぎるのだ。ここには“360 SOUND”にあった渾然一体の “サウンド”がない。思考錯誤しているうちに、先生がイコライザーをいじったiPodをV-MODAヘッドホンで聴けばすごい音になることを発見し、ぼくに伝えた。手渡されたヘッドホンに耳をあててみると、広がりと迫力のある“サウンド”が鳴り響いている。(加えて、一時期のiPodはボディに重みがあり良い響体となっていると言われた。)これなら今はヘッドホンアンプをわざわざ購入することもないと判断したぼくたちは、中古のiPodを適当な店で探してみた。だがなかなかしっかりとした響体を持つものは見つからない。先生は先生でぼくのために勝手に値段交渉など始めるので、落ち着いて考えるために一度買うのは諦めて引き返した。

 

 家に帰り、とうの昔に壊れて引き出しの奥にしまっていたiPod nanoを取り出してみた。高校時代、これにはかなりお世話になった。受験や部活や恋愛の残響がこのなかに。しかし薄れる記憶のごとく、ボタンを押しても電源が入らない。充電器につないでも作動しない。それでもなんとか自力でリストアを成し遂げ、バッテリーは持続しないが一応は聴ける状態にもっていった。

 

 折しも、「Blu-spec CD2」というブルースペックCDの次なる規格が発売され、ディランのアルバムを何枚か買った。そのCDを非圧縮のWAVでパソコンに取りいれ、1411.2kbpsでiPodに押し込んでみた。データ量が多いだけに、わずかなアルバム数でiPodはもうパンパンである。これをV-MODAヘッドホンにつないで聴いてみると、それはそれは自分にとっては“本格的”な音がすること!そして先生と同じくイコライザーを変えながら、ぼくはディランだったらこれが理想のサウンドだろうと「Dance」を採用した。(なにが一番しびれるイコライザーかは、iPodによって違うらしい。)「Blu-spec CD2→WAV→iPod→イコライザー(Dance)→V-MODAヘッドホン」という苦肉の策で、“360 STEREO SOUND”に近い音を生み出すことができた。しばらくはこれで「耳が幸せ」な日々を送っていた。

 

iPod×V-MODA2

 

 しかし、その幸せはさらなる幸せを目にしたことにより、永遠なものとはならなかった。はじめに述べたように、新宿のdisk union新館で『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』の存在を知った。ディランのモノラル音源が出ている。帯にはこのように書かれていた。

 

「当時のディラン自身が意図したアルバムの本来のサウンド、ひとつのチャンネルから飛び出すパワフルなモノラルミックスを入念に最新リマスターで再現。この音こそがボブ・ディランが最初に打ち出したかったサウンドである。(ビートルズ、ローリングストーンズ、ボブ・ディランも自分たちはモノ・ミックスに全情熱を注ぎ、ステレオ・ミックスはエンジニアに任せていた。)」

 

 “360 SOUND”に惚れこみ、上記のようにその音の再現を追求してきたぼくにとって、まさにそれを売り出してきた『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』は欲しくなるに決まっている。しかし値段が中古でも1万円くらいする。(新品では2万円弱だ。)すぐには買わずに、指をくわえて数か月disk unionに通う日々がつづいた。

 

 そこでかの“ディランおじさん”である。ぼくの夢を見事にさらっていった。ヘッドホンのときも、靴のときもそうだったが、ぼくは“欲しいものが目の前で消えた”ときに、異様な購買力を発揮する。必ず『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』を仕留めようと思った。お金など、この際関係ない。

 

 まずdisk unionのサイトで在庫検索をしてみた。これをするには会員登録が必要で、ぼくは今までそれが面倒だったので避けてきたが、夢を奪われた夜には数分で処理し終えた。(第1回別冊では、ネットで検索などせずに、その場その場であるかないかを楽しむのがいいんだ、と書いたような気もするが、そんなことはもういい。)すると、渋谷店と町田店にあることが判明した。町田なんて遠いところ、行く気がしない。次の日、ぼくは渋谷のdisk unionに向かった。

 

 あった、あった。品質はAで値段は6000円。…安すぎはしないか。見るとImportものだった。確かに海外でプレスされたCDのほうが良い音の場合もある。(日本の音は概して“きれい”で味気ない。)だが今回は、ブックレットやライナーノーツを読みたかったので、日本盤が欲しかった。(英語があまり読めないので。)また調べたところによると、日本盤は「USオリジナルMONO LPを徹底的に再現した日本制作紙ジャケット仕様」とある。この“アナログ志向”は、『ブロンド・オン・ブロンド』が発売当時の二枚組になっていることからもうかがえる。ぼくは迷った。町田へ行くべきか。だけど町田に日本盤があるかどうかはわからない。もし無くて、やっぱり安かった渋谷に戻って買おうとなったとき、すでに売れていたらどうしよう。(そのとき渋谷のdisk unionでは 、多くの“ロックおじさん”が目当ての棚の前でうろうろしていた。)

 

 一縷の望みにかけて、ぼくはエイッと京王線に乗り込んだ。下北沢で小田急線へ乗り換える。それにしても町田の遠いこと…。間違って多摩急行に乗ってしまったので、途中、新百合ヶ丘で降りて藤沢行きを待つ。日ごろ自分があまり経験しない長い乗車時間をかけて、町田駅に到着する。ぼくはなぜか走った。売れていたらそもそもないし、残っていたら焦る必要もない。ようは急いでも急がなくても、もう運命は定められているはずだが、ぼくは町田の街をdisk unionに向かって走りぬいた。地図を写すケータイをにぎりしめ、店舗に駆け込み、「Bob Dylan」の棚へ一直線。

 

帯『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』

 

 あった、日本盤があった。しかも三つも置かれていた。値段は12,000円。やはり日本盤は高い。それでも新品よりは8000円近く安いのだから。品質はAだ。

 

 その三つの『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』のどれがよいか悩んでいるうちに、おなかが痛くなってきた。もともとぼくはおなかが弱いが、緊張の糸が解けたからか、この段階でぐるぐるし始めた。今度はトイレに走った。この足止めを食らっている間に売れてしまったらどうしようと思った。それほどに、前日の“ディランおじさん”がぼくに与えた恐怖は大きい。素早く用を足して、一目散にフロアに戻る。「モノ・ボックス」は三つそろって待っていてくれた。ぼくは安堵し、それぞれの品質と値段を見極め、そのなかから直観で一つ選んだ。近ごろユニオンで毎回配られる「2000円ごとのお買い上げで200円引きになるクーポン券」をしっかり握りしめてきたので、それを6枚使い、合わせて1,200円引き、10,800円で『ボブ・ディラン・モノ・ボックス』(日本盤)を手に入れた。お金なんかそんなにないけど、もう幸せだ。

 

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 帰りは小田急線から新宿へ。そういえば、町田の街はにぎやかで面白そうだったなあと振り返る。でももう乗車しているので、また機会があったらゆっくり散策しようと思った。実は町田のdisk unionにはもう一枚、ねらっていた貴重なCDが置いてある。でも、また“ディランおじさん”に先を越されたら嫌なので、それがなにかは言わないでおこう。

 

 新百合ヶ丘で多くの人が降り、席に座ることができた。「モノ・ボックス」から『ブロンド・オン・ブロンド』の一枚目を取り出し、手持ちのCDプレーヤーに入れて聴いてみた。これが“360 MONO SOUND”、限りなく60年代のLPの音に近い。冗談ではなく、新宿へ向かう電車のなかで、涙が出そうになった。今のぼくを励まし、この感覚でいけるというような、優しく包み込んでくれるサウンドだった。

 

左:以前から持っていた『ブロンド・オン・ブロンド』。LPにならい“360 SOUND”の 「STEREO」と書かれている。

右:今回手に入れた「モノ・ボックス」から同アルバムの一枚目。“360 SOUND”のこちらは「MONO」と表記!

360 sound

 

 街で恋人たちがイヤホンの右側と左側をふたりで分け合いながら、同じ曲を聴いて歩いている姿をよく見かける。でもステレオだと、おそらくそれぞれに違うサウンドが流れており、大丈夫かと思う。その点、モノラルなら、本当に仲良く同じサウンドに身を委ねてひとつになれる。若者よ、“ロックおじさん”に負けず、モノラルを聴いてみよう。またそれを入口として、中高年に現存するレコードを買い占められないうちに、若者の手でレコードを集め始めよう。ぼくの次の実践は、“360 SOUND”を限りなく模したCDを聴くことではなく、“360 SOUND”のLP自体を買っていくことになるだろう。よければ一緒に、そんなアナログな旅をしていきましょう。

 

ボブ・ディラン『フリーホイーリン』』